浄土真宗と神さま2
- 住職 山本融聡

- 2025年12月19日
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各家に仏壇が普及したのは江戸時代からといわれています。
寺檀制度がきっかけだそうです。
神棚の普及は江戸時代中頃からで
「一生に一度はお伊勢参り」というお伊勢参りのブームからだそうです。
6世紀に仏教が日本に伝わると
仏教と神道は互いを排除することなく共存するようになります。
奈良の春日大社と興福寺、比叡山延暦寺と八坂神社などお寺と神社は深い関係にあり、
それを「神仏習合」といい、それは全国の社寺でありました。
明治になると神道国教化の方針から「神仏分離令」がだされ、廃仏毀釈運動が起こります。
仏教を廃してお釈迦さまの教えを捨てなさいという運動で、神仏習合が終わりとなります。
「釈◯◯」という法名をいただく浄土真宗では、考えられない運動です。
奈良の興福寺はその影響が大でした。また、鎌倉の鶴岡八幡宮もそうです。
しかしながら運動は長く続かず、明治10年には神道国教化の方針は転換されたそうですが、その間に仏教寺院が解体されたり、また現在なら国宝となる仏像などが失われるなどしたそうで、多きな損失です。
ところで、鎌倉時代の親鸞聖人はそういった神仏習合の時代に、神祇不拝(じんぎふはい)といわれました。自分の信心は阿弥陀さまから頂戴したものであり、他の神仏を信じる心を自分は持っていないというのが親鸞聖人であります。
時代背景を考えると、当時の仏教界ではとても異端なことであるとともに、
親鸞聖人がいかに深く信心について考えていたかということです。
写真は芦別のご門徒さんの子犬です
とても小さいのですが、ジャンプ力抜群でいつもなついてくれます




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