智慧の光明はかりなし
- 住職 山本融聡

- 10月2日
- 読了時間: 1分
親鸞聖人の和讃のお言葉です
和讃(わさん)とは漢文ではなく
和語(日本語)で書かれた詩です
最近お通夜のご法話のときに
「智慧の光明はかりなし」というお言葉をご紹介しています
阿弥陀さまの智慧の光明には限りがなくて、たくさんありますという意味です
私達は自分の顔を見るとき、鏡がないと見れませんし
鏡があっても真っ暗だと見ることができません
自分の姿も自分の都合のいいように見ているのが私達であります
「智慧の光明はかりなし」は
智慧の光明に照らされて、私達は自分の本当の姿を知ります
その姿は「煩悩具足の凡夫」、「煩悩成就の凡夫」といわれます
煩悩がそなわって足りている者、煩悩が完成し身についている者です
「学業成就」、「恋愛成就」などは普通聞きますが、「煩悩成就」は浄土真宗、親鸞聖人だけでしょう
でもその光明は「煩悩成就」とだけ知らせてくれるのではありません
「煩悩成就」と知らせながら、温かな慈悲の心で私達を包み込むのが
阿弥陀さまの「智慧の光明はかりなし」であります



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