浄土真宗と神さま1
- 住職 山本融聡

- 2 日前
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更新日:10 時間前
浄土真宗は阿弥陀さまをご本尊として礼拝し、お参りします。
その阿弥陀さまを信ずる心も、他力回向(たりきえこう)の信心といい
他力は阿弥陀さまのちから、回向はふりむけられたという意味で
他力回向の信心とは、阿弥陀さまから私にふりむけられた信心ということで
信心も阿弥陀さまからいただいたものです。
私が信じるというものではありません。
もちろん信じようというきっかけはあったかもしれませんが
よくよく考えてみると、この信じようということも阿弥陀さまのはたらきかけであったんだなーというふうに受け止めます。
私が信じるというものでなないというのは、実は私にはいろいろな感情などが混ざっているので、純粋に信じるということが人間にはできないというのが親鸞聖人の人間の見方です。
何かを私が信じていても、頭の中にはいろいろな思いが起こります。
先日研修会があり浄土真宗と神さまについて考える機会がありました。
浄土真宗を開いた親鸞聖人は「神祇不拝(じんぎふはい)」といわれ
神さまを礼拝されません。
もともと、阿弥陀さまを信じる心も、阿弥陀さまから頂戴したもので
私の力で信じるということではないことですから、神さまや他の仏さまを信じる心を持っていないとも言えます。
私たちはご法話で「信心も阿弥陀さまから頂戴したもの」と聞いていますが
その意味は奥深いものです。
理屈っぽい話なので、先日はこのことはお話しませんでしたが
いろいろと考えることがありましたので、またつづきを書きます。



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